ネガティブとかについて思いをはせる

いじめとか、鬱とか、ネガティブについて考えたり思ったことを呟いたりしていたのですが、愚痴も多かったり。

病中、食事での些細なこと

病気で四六時中体調の悪かった私は少食で。

一番早めに「ごちそうさま」を告げてから食後薬まで30分ほど胃休憩をしておりました。(食後30分後ぐらいが食後薬を飲む目安だとかで)

実際、胃疲れというか…食べてすぐに体を動かす気力がないんですよね。具合そうとう悪いんでほんと。


だというのに、一番最後に食卓に残ることになった私だけが皿の片付けを要求されることが地味にストレスでした。

たしかに最後に残った人が片付ける制度もやってましたけど、

一番最初に食べ終わって!ご馳走さまも言ったのに!?胃休憩中で疲れてるのに片付けろと急かす時もあるし!

最後に食べ終わった人がやるべきなのに何故いない!


それからは体力に余裕があれば一旦食卓から少し離れるようにしたりしてました。




あと、食事中は他の人を不快にさせないように一応自分なりに工夫するようになったりもしましたね。

当時の病状ほんと酷かったので、このままじゃ食事中もずっと不快にさせるよなぁと思って。

時間帯を他人と分けて食べようとすら考えるぐらい悩んでました。

なんとか解決策ができたので良かったです。

今では症状も収まってきててありがたい。

いじめっ子にとっての予想外

いじめられていた日常で、何度か不可解な出来事があった。


いじめっ子が、私にうっかりぶつかった時。

もしくは投げたものが偶然当たった時。


私に向かって、普通に謝罪を述べたのだ。


当初は意味がわからなかった。

おそらく、意図せぬ攻撃なら申し訳なさを感じたのだろう。


意図した攻撃の方が、何倍も嫌悪するってのにな!

口喧嘩に割り込むべきじゃない時もあるようだ

些細なことで揉めた時、第三者の割り込みで余計に話が拗れたことがある。

正直なところ…

第三者さえ割り込まなければ数秒で終わるはずだった揉め事であったとあとから気がついた。


たとえば

「君なんて嫌い」「こっちも嫌い」

と、これだけで終わるはずだった会話があったとして

「喧嘩はやめよう」

などと言ってしまえば

「元々あっちが悪い」だの「喧嘩なんてしていない」だの「そもそもお前が悪い」だのと

第三者も交えての口論が始まりかねない訳だ。



喧嘩が大きくなって大惨事を起こしそうだとか、

長く続きすぎていい加減にしてほしいとか、

放っておくと誰かを傷つけてしまうとか、

そういう「喧嘩を止めなければならない」事情でないかぎりは、おそらく他人は口を挟まないのが賢明だ。


口を挟みたくなる気持ちはすごくわかるので…難しいところだが、覚えておくべきだろう。


夫婦喧嘩は犬も食わない という話もあるのだし。



お互いに了解の上で、

喧嘩がコミュニケーションの人もいれば

罵るのが会話な人もいる。

多少のイザコザなんて、どうしようもなくよくあるものだ。

それを「気になった」「見ていられないから」と、

そんな理由でつついたところで

終わるわけがない。

他人の一声で揉め事が解決するなどと、とんだ思い違いだろう。



場を納める選択を選ばなければ

起きるのは二次災害だ。


問答に終わりはなかなかやってこない。

だからこそ無言で見守るのも一つの手だと学んだことを、今後に生かしたいと思った。