口喧嘩に割り込むべきじゃない時もあるようだ
些細なことで揉めた時、第三者の割り込みで余計に話が拗れたことがある。
正直なところ…
第三者さえ割り込まなければ数秒で終わるはずだった揉め事であったとあとから気がついた。
たとえば
「君なんて嫌い」「こっちも嫌い」
と、これだけで終わるはずだった会話があったとして
「喧嘩はやめよう」
などと言ってしまえば
「元々あっちが悪い」だの「喧嘩なんてしていない」だの「そもそもお前が悪い」だのと
第三者も交えての口論が始まりかねない訳だ。
喧嘩が大きくなって大惨事を起こしそうだとか、
長く続きすぎていい加減にしてほしいとか、
放っておくと誰かを傷つけてしまうとか、
そういう「喧嘩を止めなければならない」事情でないかぎりは、おそらく他人は口を挟まないのが賢明だ。
口を挟みたくなる気持ちはすごくわかるので…難しいところだが、覚えておくべきだろう。
夫婦喧嘩は犬も食わない という話もあるのだし。
お互いに了解の上で、
喧嘩がコミュニケーションの人もいれば
罵るのが会話な人もいる。
多少のイザコザなんて、どうしようもなくよくあるものだ。
それを「気になった」「見ていられないから」と、
そんな理由でつついたところで
終わるわけがない。
他人の一声で揉め事が解決するなどと、とんだ思い違いだろう。
場を納める選択を選ばなければ
起きるのは二次災害だ。
問答に終わりはなかなかやってこない。
だからこそ無言で見守るのも一つの手だと学んだことを、今後に生かしたいと思った。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。