ネガティブとかについて思いをはせる

いじめとか、鬱とか、ネガティブについて考えたり思ったことを呟いたりしていたのですが、愚痴も多かったり。

感染予防マナーが広まってない感

コロナによって、

お喋り禁止、という張り紙を見かけることがある。


しかしながら、その張り紙を前にして周囲のざわつく声が絶えない風景に、やるせない感じがした。




周囲がその有り様なので、もうそれが常識といった空気すら出来上がっているゆえに

どれだけ注意換気されていても訂正するのは難しいものだと感じた。


手話、手記、携帯画面と、意志疎通の手段はいろいろあるとはいえ

喋ることになれていると、意識していなければ忘れてしまうのは理解できるし。


そもそも、警戒心が強い人であれば密集する場所にだって行かないし。



張り紙がない場所でもできれば意識したいとは思うのだけれど、

今まで普通だったことができなくなるというのも、やはりまだ慣れていないし、

どこまで気を付ければいいかが判断できない。

緩和されたりするから尚更に。

強制するのも何か違う気がするから難しいところ。



とりあえず、注意換気系統は張り紙よりはアナウンスの方がいいような気がする。

気づかない人もいるんだろうし。

賞味期限も気にしてほしい

家族はとにかくなんでも買い込むところがあり、

それなのに賞味期限は把握しないし、消費期限も冷凍なら大丈夫だろうと詰め込んでいる。


冷蔵庫に物が多すぎて、隠れてしまったまま期限を越えた食材もチラホラと…少しは整理整頓してほしい。


賞味期限に気づいたのなら一言くれればいいのだが。

無言で食卓に出されても困るというものだ。


カレーやグラタンが並ぶテーブルに、ポツンとふりかけやら鰹節やらが置かれていたとして、誰が手をつけてくれるというのか。

食べてくれないからと賞味期限のきれかかった食材をテーブルに置いたところで、冷蔵していない分だけ腐るのだからすごく困っている。

それでいて自分は食べないのだから、味の変化にも気づかないしで余計に質が悪い。


誰もしないなら自分でやるしかなく、定期的に整理整頓に勤めている。

それでも物を増やしていくのだからまるで解決しないのだが。

正しくない叱り方ってあると思うのです

赤の他人に、しつこく説教されたことがあります。

私の知らないマナーだったのですが、とりあえず謝りました。

「今度から気を付けます」と謝ったのですが、同じことを3回くらい繰り返して怒られたことがあります。

怒られた内容はともかく、怒られ方には納得していません。


そりゃあ、態度が悪く反省していなさそう、とかならまだわかるのですが…そうした覚えは一切無いだけでなく、

命の危険性などがあった内容でもなく、

「態度が悪い」とか「反省しているように見えない」とか言われる訳ではなく、

本当に同じ内容で3度も叱られたのです。


例として書くと

「それはダメ」と言われて「すみません」と聞き入れたのに対して

「本当にそれはダメだから」「ダメなのが普通なのに世間知らず」「ダメだと知らなかったのが信じられない」

といった感じに念押しされた訳である。


赤の他人と話す機会なんて、あまりない方だと思う。

それこそ時間をかけて話すことなんてないはずだ。

せいぜい道を訪ねたりして助けてもらうことぐらいしか思い付かない。

ナンパでいうとわかりやすいと思うが、赤の他人から話しかけられるというのは、それだけでわりとドッキリする出来事である。


他人に話しかけるのだって多少の勇気が必要のはずなのだが…。

その上で相手を説教して長々と同じ言葉で叱りつづけることができるのだから、なんというか。

それだけ赤の他人に時間を割ける余裕があるのはすごいと思う。

わざわざ仕事中を中断してる人もいるようなので、尚更思う。



しかしながら、なかには理不尽な説教もあるのが世の中だ。


叱られたからには訂正しなければと「訂正方法」を質問したのに、「自分で考えるべき」とか言って教えてくれなかったり。

説教した方が間違えていたのに謝罪もなかったり。

訂正できない部分を悪く言われたり。


できれば、正しい叱り方と、正しくない叱り方は、多少定義するべきではなかろうか。

絶対に正しい方法というのが無いのは知っているが、学校とかどこかしらで「褒め方」「叱り方」の例文ぐらいはあってもいいと考える。

人がそれぞれ生きやすくするためにも、正しい生き方ができる方法を私もしっかり知りたいし、広がってほしい。