勝敗を聞かないでほしい
なぜ上手くいったかを聞くのだろう。
駄目だったら何をしてくれると言うのか。
うまくいってたら、誰に特があるのか。
何か言葉があったとしても、他人事のようにしか聞けない。だから怒りが沸いてくる。
何故、あえて悲しい報告をさせらればければならないのか。
慰めに心が籠っているように聞こえないから余計に思う。
駄目だった。
また駄目だった。
失敗した。
間違えた。
そんなマイナスな言葉が私を縛る。
不幸なのだと呪いをかける。
他人事のような反応に、孤独さえも植え付けられる。
他人に余計なことを聞くものではない。
興味心だけで近寄るものではない。
聞いてほしいと思う者は、自ら言うはずだと私は思う。
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