患者の決意
よくあるドラマのように。
医療の処置は患者の意思がなければ決定されない。
手術をしなければ我が子が死ぬとしても、本人が怖くて拒否をすれば決行できないのだ。
本人の意思を尊重していると、わかってはいるのだが。
私の場合は死ほどでは無かったけれど。
決断するのは怖かった。
辛そう。
お金がかかる。
やっても無駄かもしれない。
多くの理由が決断を鈍らせた。
先生からの意見をきたかった。でも。
私が決めることだから、と必要性を持たせてはくれなかった。
やるとしたらどうするかを聞いても、予約があるから日数がかかってしまう。とのマイナス点。
いざ決行しようにも、体調が悪くて無理と思った時が怖くて。
「キャンセルはできますか?」と聞いた。
予約のためにかなり準備するのに無駄になる、暇じゃない、キャンセルは困る。という言い方をされた。
これでやる気になれる訳もなく。
ある意味その処置から逃げてしまっていた。
他の方法で治るなら。
いつか治るなら。
必要性がないなら。
誰も背中を押さないのだから、やらなくても大丈夫なのだと。
実際、どう考えても無理な状況もあって、心理もあって。
良いか悪いか、決着はつかなかったのだ。
患者の病気を治すなら、意思の尊重はどこまで大事なのだろうか。
たとえば鬱とかで、それが決断できない病気の患者も、自分自身だけで決めなければならないのだろうか。
親でなく、あなたが決めないと。
良い意味でも悪い意味でも。
あの医者はそう言った。
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